お金はなさすぎても良くないがありすぎても良くない場合がある
お金がないと普段の日常が平穏に過ごせない可能性が高いです。
一部の地方集落なら小さなコミュニティで自然からの頂き物を享受してお金がそれほどなくても豊かな生活を送ることができる。
場合によっては都会よりよっぽど贅沢な生活を送ることができる。
その代わりに不便なところもあるが、それは人それぞれの価値観でどこに重きを置くかだと思う。
そしてこんどはお金がありすぎても人によっては良くない場合がある。
それは、お金を持っておく人間の器のようなものが、大きいか小さいかによってその人の人生をも狂わせてしまう可能性があるためだ。
人によってはお金を貯めるためにコツコツ貯金をして頑張って貯める人がいるが、その場合はその人たちをそれほど急激に変化させることはない。
むしろ老後のためにと貯めていたものが、詐欺の対象で盗られてしまうこともあり得る。
その場合もやはり器が関係するのではないだろうか?
お金を所持することはとてもストレスになります。そのお金に見合った人生経験や信念、思想、夢がなければお金を保持する理由がなくなります。
そこに保身の気持ちがあれば器はどんどん小さくなっていくと思います。
逆に誰かのため、未来の子どもたちのため、世界の子どもたちのためと思うと、器はどんどん大きくなると思います。
芸能関係の人の中には莫大な富を得てその資産をタックスヘイブンや違法な脱税を行い一部の人間で独占する人がいます。
それもやはり器の話になると思います。急激に成長して芸能界だと普段の何倍ものレバレッジが効いているため、当たった時のバックがとてつもないことになります。
しかも失敗してもマイナスレバレッジはそれほど効かない。
溜まったお金を未来や周りの環境が良くなるような投資に回していかないため、器に収まり切らなくなり、だんだんストレスになりついには器から溢れてしまうのです。
これはご飯を食べる時と同じかと思います。
ご飯をたくさん食べられる人、それほど食べられない人いろいろいると思います。
見た目デフだけど小食だったり、華奢な女の子で大食いだったり。
人によって満足する量は違います。
ここで間違えてはいけないのは、小食の人はたくさんご飯があることは幸せではないことです。
小食の人はご飯をたくさん食べると消化不良や戻してしまったりして、不幸になってしまいます。
小食の人が幸せに感じることは、ご飯を食べながら最近のことや流行の話題について長々と喋ることなのかもしれません。
大食いの人はただ黙々と好きな量を好きなだけ一人で食べることかもしれません。
ご飯の必要量は人によって様々。
地方集落ならお金がほとんどなくても人によっては幸せな生活を送ることができます。
逆にいつでも時代の最先端の芸術に触れていたいと思う人は、都会でたくさんの美術館や先進的な建物、商品に触れられる環境が幸せと感じる人もいると思います。
その場合美術館に自由に行けて、好きに都会を電車移動できるくらいのお金が有ればいいかもしれないです。
誰もが持ってるお金に対する器を意識しなければいけないと思います。
お金は人を幸せにもするし、不幸にもするので、気をつけなければならない。
ここで注意しなければならないことは、お金がたくさんあったとしても不幸になる可能性があると言うことです。
お金は全ての人のために未来に投資する目的で世の中を循環しなければならないと思います。
ある人はお金は人間で言うと血液と同じだと言いました。
血液が身体の一部で停滞していたら、それは正常な身体ではないし、いつか不調が起こると思います。
最後に話が急にぶっ飛びますが、人生で大事なことは徳を積んで、徳を周りに振りまくことだと思います。
そうすると、あまりお金って必要なくなりますよね。
お金って他人との一定の距離を取るためのツールですが、人との距離ってたまに無性に近づきたい時ってないですか?
寂しいな〜とか
お金だけに囚われているとその距離感を超えることができない気がします。