時間の浪費と消費と投資の違い

時間の浪費と消費と投資の違い

 


投資の世界では成長見込みのあるものに対してはお金を払う

 


逆に成長見込みがなければお金を払わない

引き上げる

それが顕著なのが株式市場でのやりとりでしょう

 


なので、個人に置き換えると、個人の時間を仕事に関連することに投資することでいずれ芽が出れば評価されるし、芽が出なくても自信につながる

その時間は消費と言えよう

 


自由に使える時間が増えたとしても、目的感もなく時間を消費することは浪費ではないだろうか。

 


他人から見たらその人が時間を浪費しているのか、消費しているのか、投資しているのか判断することが難しい

 

 


そのため人は資格や学歴や経歴でその人を短時間で判断しようとする

逆にそれほどその人のことについて深く考える時間が無い

考えても答えが出ない

 


なので、就職時の面接の短時間ではその人が今まで何に投資してきてどんな才能があるのか見切れない

 


最近では面接対策や経歴だけはキレイな人も多いため会社に入ってから会社も本人もこんなはずじゃとなるのでしょう。

 


それらの現象が起きてしまう根本の原因は、お互いに失敗に対して極度に怯えているからではないだろうか?

 


面接官は下手な人材を取ったのを自分の責任にしたくないし、就職したい方も就職できなかったらと思うと出来るだけキレイな経歴にしたい

 


その結果たまたまお互いの相性が良かった人材は幸せになるが、それ以外は会社にしがみつこうとする

 


会社に所属することが絶対、正社員になることが正義みたいな風潮がどこから湧いているのか知りませんが、恐れの原因だと思います。

 

 

 


話変わって

 


お金を稼げたとしても、人によっては数人のチームで仲間として働きたい人は、お金を稼ぐことだけが正義とは限らない

 


そういう人がお金稼いでも一人になった途端目的感を失って人生ダメになる人もいるのだと思います。

 


なので、人生には充実感と生活に困らないくらいのお金があれば幸せなんじゃないかと思う

 


今の金融緩和によってお金持ちがたくさん増えたとしても、サラリーマンとして働いている自分はお金持ちになれなかったとしても生活は変わらないのだと思う。

お金持ちになれたとしてもやることは変わらない。

 


お金ではなく社会は信頼で成り立っているので、信頼を増やすことが大切だと思う。

 


お金で信頼は買えない

 


お金で罪は消えないのと同じだと思う

 


なので、今の金融緩和でお金をジャブジャブ増やしてハイパーインフレが起きたとしても、お金に関係ない生活をしている地方の人々は食うに困ることはないでしょう。

 


物々交換をすればほぼ欲しいものは手に入るのではないでしょうか?

 


日本人はそのことを魂レベルで認識しているのかな?

 

 


お金を増やしてもハイパーインフレが起きない理由は日本人が超低欲社会だからと言われるが…

 

 

 


欲が強すぎると結果周りに信用できる人が居なくなっていき、生きることがつらくなるのかな

 


お金を手にした途端、目的もなくやりたいことやっているとアキラ先輩みたいになっちゃうのかな?

お金の力で結構酷いことしてたみたいらしい

 


米騒動なんかは強い欲の代表例みたいなところがある

結局一人でため込んでも周りの人を苦しめているのであれば、それは大きな負のエネルギーとなって蓄積される

 


18世期の税の話とも近いと思う

パンピーに重税かけといて、貴族は優雅な生活してたらそらーみなさんお怒りですわ〜

 


そのバランスをとることが国を運営する上で重要なんだろうな